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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)9481号 判決 1968年8月01日

原告 北村満

<ほか三名>

右原告ら四名訴訟代理人弁護士 戒能通孝

被告 ナウカ株式会社

右代表者代表取締役 久保襄

右訴訟代理人弁護士 青柳盛雄

同 上田誠吉

同 橋本紀徳

主文

一、被告は原告北村満に対し金一九万九、〇三四円を、原告藤川享に対し金一七万一、七二〇円を、原告鈴木康道に対し金一九万三、四五六円を、原告広末晋に対し金一八万九、四四〇円を、それぞれ支払え。

二、原告らのその余の請求は棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨

一、被告は原告北村満に対し金、二九万九、〇三四円を、原告藤川享に対し金二七万一、七二〇円を、原告鈴木康道に対し金二九万三、四五六円を、原告広末晋に対し金二八万九、四四〇円を各支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに第一項に限り仮執行の宣言を求める。

第二、請求の趣旨に対する答弁

一、原告らの請求はいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

との判決を求める。

第三、請求の原因

一、原、被告の雇傭関係

被告会社は東京都千代田区神田神保町に本店を有するソビエト書籍の輸入販売を主たる事業とする株式会社である。

原告北村は昭和二八年一二月、同藤川は昭和三〇年一〇月、同鈴木は同年三月、同広末は昭和二八年一一月、それぞれ被告会社に雇われ、原告北村は卸売課長、同藤川は売店課長、同鈴木は総務課長、同広末は外販課長の職にあったところ、原告らは昭和三九年八月五日退職の意思表示をなしたので、その翌日より二週間を経過した同年八月二〇日を以て原告らと被告会社間の雇傭関係は終了した。

二、原告らの被告に対する退職金請求権

被告会社の就業規則第六章第三節の定めによると、右退職により原告北村は金一九万九、〇三四円、同藤川は金一七万一、七二〇円、同鈴木は金一九万三、四五六円、同広末は金一八万九、四四〇円の各退職金を被告から支払を受ける権利を有するのでこれが支払を求める。

三、被告会社の不法行為に基く原告らの損害賠償請求権≪以下事実省略≫

理由

一、当事者間の雇傭関係

被告会社が原告主張の如き株式会社であり、原告らがそれぞれその主張の各日時被告会社に雇われ、その主張の各地位にあったこと、原告らが昭和三九年八月五日被告会社に対してそれぞれ退職の意思表示をし、被告会社が翌六日被告主張のような理由で就業規則第八章第二項第二号に基づき懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

二、原告らの被告会社に対する退職金請求権の存否

(一)  前示退職の意思表示は特段の事情の認められない本件では、被告との間の雇傭契約(期間の定めがあることの主張も立証もない。)の解約申入れと解すべきであるから、民法第六二七条の定めるところに従いその効力を生ずべきものであるところ、被告は、右効力発生前である昭和三九年八月五日前記就業規則にもとづき懲戒解雇に処したものであるから同規則第八章懲戒の種類の項四号により退職金支払義務はない旨主張するので以下右懲戒解雇の効力について判断する。

(1)  原告らが退職するに至った事情

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(イ) 被告会社はソビエト連邦の国際図書公団であるメジクニーガを最大の取引先とし同社との取引は被告会社の扱う書籍の八〇ないし九〇パーセントを占めていたところ、日本共産党の内部分裂及びソビエト共産党との間の複雑な関係の影響を受けて、部分的核爆発実験停止条約及び現代修正主義に反対する立場に立つ被告会社代表者ら(日本共産党員)もソビエト共産党に快よく思われない状勢となり、昭和三九年六、七月頃には、ソビエト共産党中央委員会から日本共産党中央委員会にあてた書簡の中で被告会社の名前をあげてソビエトの書籍廃棄を批難されたり、ソビエト連邦の新聞に被告会社が日本共産党の指導のもとに被告会社各支店にあてソビエトのパンフレット類を必要最少限の部数だけ残して他は全部廃棄せよという指示をしたことについての攻撃記事が掲載されるなどのことがあって、被告会社の将来の経営に不安な時期を迎えた。

(ロ) そのようなとき、たまたまソビエト連邦から来日したミコヤンの演説を聴いた原告北村が、社内で部分的核爆発実験停止条約を支持するミコヤン演説及び同旨のスースロフの報告論文を賞讃したところ、昭和三九年六月九日、被告会社代表者久保襄からミコヤン演説を聴きに行った理由、ミコヤン演説及びスースロフ報告論文を賞讃した理由を詰問された上、そのような言動は被告会社の販売業務方針の統一を害するので慎しむように命ぜられ、その後出社停止の言渡を受けた。

なお、同年六月一四日頃被告会社課長会議において被告会社代表者らは「会社の性格、目的に照らし現代修正主義とたたかうことを会社営業の最高方針とすべきであるから、前記ミコヤン演説、スースロフ報告論文に関する文献を積極的に販売し続けることは好ましくない。また、会社の販売書籍につき賛否の論議をすることは混乱をまねくから、かかる論議を慎しみ会社の方針に従って行動して貰いたい。」旨発言し、その後も度々原告北村に前記言動を慎しむように要請した。

(ハ) そこで、原告北村はその所属する日本共産党を脱党するとともに被告会社を退職する意思を固め、独立して書店を開くか又は縫製工場を営む計画を樹て、同年六月一一日頃丸善書店の大野仕入課長代理とあった際、もし、書店を開いたらよろしく頼むと申入れる一方、他の原告らに対しても退職してソビエト書籍を販売する新ナウカ書店を開くことにつき、相談をもちかけた。

他の原告らは、当初原告北村の退職並びに新ナウカ開店計画に賛同しなかったが、被告会社代表者らが原告北村に再三右退職を思い止まるよう勧告すると共に他の原告らとの話合いを禁じ、また他の原告らに対しても同年六月中旬頃から数回にわたって現代修正主義についての考えを問いただし、且つ原告北村と話合った内容等を釈明すると共に原告北村との交際を禁じ、更に原告藤川が日本共産党本部に呼び出され自己批判書の提出を迫られるに及んで、他の原告らも遂に原告北村と同調して被告会社を退職することを決意するに至り、ここに原告ら四名は同年八月五日一斉に被告会社代表者に対し前記退職の意思表示をしたものである。

≪証拠判断省略≫

(2)  被告主張の懲戒解雇理由について

成立に争いのない甲第五号証によれば、被告会社の就業規則第八章『懲戒』の項に「社員が次の各号の一に該当するときはこれを懲戒する。」と規定され、その第二号に「正当な理由がなく会社の諸規定指示に従わず、または不正な行為があったとき」と記載されていること及び『懲戒の種類の項』に「懲戒は次のとおりとし、その行為の軽重に従いこれを行う。」と規定され、その第四号に「懲戒解雇……予告期間を設けず解雇し、解雇予告手当を支給せず又退職金の全部又は一部を支給しない。」と記載されていることがそれぞれ認められる。

しかし、前記(1)の(イ)(ロ)(ハ)の事実関係中における原告ら四名の行動が前記規則第八章懲戒の項第二号に該当するとは到底考えられない。

もっとも原告北村が同年六月中丸善書店の大野仕入課長代理にあった際、自分が書店を開いたらよろしくたのむと依頼したことは先に認定したとおりであり、証人大竹俊市の証言によれば、被告会社は幹部従業員である原告ら四名が一斉に退職したため地方の営業所長らを呼び寄せて原告ら退職による空位を埋めるなどの措置を講ぜざるを得なかったので営業上若干の障害を蒙ったことを、また≪証拠省略≫によれば原告らは本件懲戒解雇の意思表示を受けた後である同年九月下旬か一〇月上旬頃被告会社と競業関係に立つ訴外株式会社日ソ図書センター代表取締役亀山幸吉に会い、その後同訴外会社に雇われるに至ったことを、更に≪証拠省略≫によれば、その頃被告会社から十数名の従業員が退職し、その殆んどがその頃同訴外会社に入社していることを、それぞれ認め得るけれども、これらの事実があるからといって、それだけで原告らが被告会社の諸規定指示に従わず、不正の行為をしたものとは断じ難い。なお原告北村が社内でミコヤン演説とかスースロフの報告論文を賞讃したことは前認定のとおりであるが、右賞讃が賞讃に止まるかぎり、たとえ被告会社代表者らの主義主張に反するとしても、それだけで会社の営業方針を妨害したものというに足りないのみならず、他に原告らがこれに関連して会社の諸規定に反し、その指示に従わない具体的な事実のあったことを肯認させるに足りる証拠がない。(証人大竹俊市の証言では、本件懲戒解雇の意思表示前かかる事実のあったことを認めるに足りない。)

(3)  そうすると本件懲戒解雇は被告主張の如き懲戒解雇理由がないのに拘らず、これありとしてなされたものであって懲戒権の濫用として無効というべきである。

(ニ) 右懲戒解雇が無効であるとすれば、原被告間の雇傭関係は原告らが昭和三九年八月五日被告会社に対してした退職の意思表示にもとづいて終了したものと解すべく、このような場合、原告らが被告会社の就業規則第六章第三節により被告会社に対し退職金請求権を有することは成立に争いのない甲第五号証により明らかであって、右規定による原告らの退職金額が原告北村については金一九万九〇三四円、同藤川については一七万一七二〇円、同鈴木については金一九万三四五六円、同広末については金一八万九四四〇円であることは当事者間に争いがない。

よって原告らの被告会社に対する右金額の退職金請求はそれぞれ理由があるものというべきである。

三、原告らの損害賠償請求権の存否

被告会社の原告ら四名に対する懲戒解雇の意思表示が無効のものであることは前記認定のとおりである。

そこで被告会社が右懲戒解雇の事実を第三者に流布して原告らの名誉を毀損したかどうかについて判断する。

(一)  原告主張にかかるいわゆる流布行為のうち(イ)(ホ)の各事実及び(ハ)の事実中原告ら主張の如き通知のあった事実、(ニ)の事実中原告主張の如き説明及び記事掲載のあった事実はいずれも当事者間に争いがない。しかし(ロ)の被告会社代表者が社内で従業員に原告らを懲戒解雇した旨口頭で伝えた事実についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

(二)  ところで、右当事者に争いのない事実中の被告会社の各所為がいずれも被告会社就業規則上原告らに対して懲戒事由があるものと信じてなされたものであることは、上来認定の事実関係から明らかであり、しかも本件の如き事案についてこのように信ずることは一般の基準から見て必ずしも過失ありというに足りないから、たとえこれらの各行為の結果として原告らに対する第三者の評価がそこなわれたとしても、原告主張の如き不法行為の成立を認めることはできない。

よって原告らの被告会社に対する各損害賠償の請求はいずれも理由がない。

四、被告の相殺の抗弁について。

ところで原告らがいずれも被告会社より解雇予告手当金として原告北村は金三万九五〇五円、同藤川は金三万九七六三円、同鈴木は金四万三八二四円、同広末は金三万九一八五円を受領したことは当事者間に争いないところ、本件雇傭契約関係の消滅するに至った原因が原告らの任意退職の意思表示にもとづくものであることは前認定のとおりであるから、被告会社は右解雇予告手当金を支払う義務がないのに支払ったものというべきであるから、被告会社は右支給した予告手当金を非債弁済とし不当利得返還請求権を有するものというべきである。

ところで、被告はこれを自動債権として原告らに対する退職金債務と対当額において相殺する旨抗弁するが、前掲甲第五号証によれば被告会社の就業規則では勤続年数満二年以上の者が退職するときは退職金を支給すること及び支給基準については別に定めると規定されていることが認められるので特段の事情のない本件では、右に該当する従業員が退職するときは必ず所定額の退職金を支給すべく支給者に裁量の余地はないものと認めるのが相当である。そうであれば、原告らの請求する本件退職金は、労働基準法第一一条にいう労働の対償として使用者が労働者に支払う賃金に該当するものというべきであって、労働基準法第二四条第一項により、被告は原告らにこれを現実に支払することを要し反対債権をもって相殺することは許されない。それ故被告の右抗弁は理由がない。

五、よって、被告は原告北村に対し金一九万九〇三四円、同藤川に対し金一七万一七二〇円、同鈴木に対し金一九万三四五六円、同広末に対し金一八万九四四〇円の退職金支払義務を有するものというべく、原告らの本訴請求中これが支払いを求める部分は理由があるのでこれを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条第九二条第九三条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川添利起 裁判官 園部秀信 西村四郎)

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